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2010/08/13 (金)

[ニッキ] 同窓会で軽く心に傷を作るの巻

まぁ、簡単に言うと周りがほぼ全員結婚してたっつーだけの話なんですけど。


結婚そのものにそんなに価値を見いだしてない私としては、だから何?っていう自分もいるんだけど、なんつーのかなぁ、オッサンになると、ふと隣にいる人に微笑みつつ、どうでもいいようなこと言って、同意なり否定なりなんか気軽に話の一つもできたらそれはそれで幸せなのかなぁとか思ってしまったりする一瞬が訪れたりしますよね・・・。(笑)


オレの考えのスタート部分がコミックってのも色々と考え物ですが(大汗)、変ゼミ3巻を読んでてふと考え込んだりしたわけで。

ちなみに2巻はこっちで、1巻はこっち。そんでもってこないだ出たばっかの4巻はこっち。 見てもらえば分かると思うけど、基本変態ですから。

まぁ、
基本
オレの人生と
同じなのでよし。



で、横に出てるこれが、3巻のある1話なんですが。
武蔵小麦ことコムギは、普段はクールで普通と変態の境界線を自由に飛び渡るド変態。 松隆奈々子こと松隆は、なぜ変ゼミにいるのか分からないほどで、ドノーマルを自称する一般人(処女)

この話は、コムギが夕暮れの町並みを歩きつつ、

  そんな気分なんだよね。今日は。
  晩飯作って来んないかな


と言って、自分に片想いしていることが分かっているのにあえてそんなエサを松隆の前にぶらつかせたりしてみるのが、ナチュラルにタチが悪い。(笑)

豆腐屋のオヤジをして

  おたくら夫婦? なんだい 違うの?
  けどいいねえ
  若い二人が仲良く夕飯の買い物たあ
  平和だねえ


などと言しめて、仕込み十分。

松隆も

  なんか
   キュンと きた……


と、あっさりその気に。
その後で普通に食事して、PSPやったりして、11時になったからとあっさり帰るコムギ。

  そろそろ帰るよ
   え?
  なに…… どったの
   ん〜〜〜〜〜
   なんなんですかあ… もお
   何かの実験なら 言ってくださいよぉ……


  笑うかも知れないけど
  俺にだって あの豆腐屋の親父のように
  世の中が幸せに見える日があるんだ
  そんな日の俺なりの楽しみ方に
  松隆に付き合ってもらっただけさ

  何か勘違いさせたんならゴメンな


といって、松隆を一人にして帰ってしまうコムギ。

まんまと寂しくなる松隆を確信して、帰り道に野良猫をなでて、
信犯的に最後に出た独り言が

  あー愉し…


このやり取り、ストーリーだけ見てけば、コムギが自己満足のために松隆を巻き込んで、なおかつウラの目的が松隆に精神的な揺さぶりをかけて、予想通りのオチにニヤニヤする、っていうところがメインなんでしょうけど。

この辺、オレの深読み過ぎるのかもしれんが、かなり重い・痛いストーリーだよね。

まず簡単に言って、コムギの分裂した精神がよく出てる。
下線部で「オレなりの楽しみ方に」と言ってるが、この楽しさも、素直に楽しんでる訳じゃないんだよね。
ホントに世界が幸せに見えてニコニコしたよ、と言ってるウラで、実はちっともそんな実感なんてなくて、結局それを戯れに演じてみて、その可笑しさに苦笑してるようなそんな楽しみ方なわけで。そこから副作用的に?というかむしろそちらがホントのねらいだったりするわけだが、松隆を苦しめてはめるのが「ホントの自分の楽しみ方」だったりするんだろうなぁ、と。突き放すんじゃなくて、ねっとりとした、離れられない立ち位置・距離を保ったままで、相手の心に入り込んでえぐることで存在するっていうとこが、SMの本質をよく捉えてる気がする。上下でもなく、形式化させてるわけでもないのに、そこにねちっこい関係を成立させてる分、ショボイSMよりずっとレベルが高い。

しかも、楽しいんじゃなくて、愉しいんだ、というのも重いよ。
ニコニコけらけら笑うような楽しさではなく、ニヒルで、シニカルで、愉快に思ってるってことをこの1字が象徴してる気がする。 愉しいという字は、気持ちがいいという点で心が盛り上がって躍っているということだけど、この心が満たされたり気持ちが良くなる点が、やっぱり素直に松隆と遊んだ部分だけじゃなくて、その後にSMちっくに苦しめる部分についても、乾いた心で「愉しい」と言ってるんだろうなぁというところがありありと見えてしまって、どうしてもコムギの分裂した部分を見つけてしまうね。

「松隆に付き合ってもらっただけさ 何か勘違いさせたんならゴメンな」

っていう一言も、完全にkilling me softly(やさしく殺して)って感じだよね。相手が自分に気があるって分かってて、困りまくってるにもかかわらず、コントロールは決して相手に持たせず自分にあることを明確にして、なおかつ態度ではびっくりするほど仲良くしておいて言葉では一定の距離を確実に引かせるという、この辺のあざとさ
これ以上の嫌らしい発言があるもんかいね!と思ってしまうエグさですな。
それを半分意識しつつ、半分無意識に追いやって、それを平然とやりきって自己完結するコムギの精神ってのは自分にも通じるものがあったりするから、自分の精神の黒い部分を直視しちまった気がして、がっつり落ち込んだりするわけですわ。オレもこういうのやりかねん、と。


・・・まぁ今回の話は別に、変ゼミ3のレビューをしたい訳ではないのでこの辺にしときますが(長すぎ)、読者のオレとしては、自分の中に2つの人格があることを改めて認識してしまうから、さらに凹むわけですよ。

勘のいい方はもうお気づきでしょうが、オレの中にコムギと松隆の2人分の人格があってタチ悪いわけですわ。割り切って愉しいとさめた発言をして終われもしないし、寂しいからといってグスグス泣けるわけでもない。まったくもって中途半端な人格ですよ。
その辺もう、病気やなぁと思うわけですが。


で、だ。

話を最初に戻すと、同窓会で軽く心に傷を作ったわけで、それは簡単に言えば、同級生がほぼ全員あっさりと結婚してて、今の主な気がかりはアパートの賃貸暮らしを思い切ってマイホームに切り替えるかどうかとか、子どもあと1人つくるかとか、育休で仕事続けようかそれともやめようか、とか、そんな話題な訳ですよ。自分と同じペースの人がいないことを、自分のアイデンティティーだと思って生きてきてたのに、まぁあたりまえっちゃー当たり前なんだけど、自分がマイナリティになるに従って、そのアイデンティティーに段々と自信が持てなくなって来てるというか、そのアイデンティティーを自分が自分で否定しちゃうくらいになっちゃって、それはもう凹んだ凹んだ、っていうそういう話。

寂しいんだよね。簡単に言えば。
都合のいいところは自分の好きなように生きて、都合の悪いところは寂しいと拗ねる。
何なんだよそれは!と自分に自分でつっこんじゃうけど、なんだかんだ言ったって、結局寂しいんだよ。たぶんその辺が根本的な部分だと思うんだ。

じゃぁそれをどうにかして、婚活とかの具体的・前向きな一歩に変えるか、っつったらそういう性格でもないしねえ。

なんだか寂しいよう……

だってさ、中卒で就職した同級生の娘がもう小5だからね。
おいおいおいって感じですよ。

オレの人生これでいいのかなぁ。
ちっともヨゴレた発言してないんだけど、こんなニッキ載せていいのかなぁ。(笑)

とか、そんなことを思った1日でしたとさ。



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