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2010/08/14 (土)

[ニッキ] ミキシングの重要性 〜タモリ倶楽部を見て

先日のタモリ倶楽部を見てたら、ミキシングに挑戦という企画をやっていた。

お笑いTV!! ドキュメント&バラエティ 動画: タモリ倶楽部 動画〜ミキシングに挑戦!レコーディングエンジニアの巨匠に学ぶ〜100625

最近の音楽を聴いていて心が躍らないのは何でか?と考えることがよくあるんだけど、その答の一つが何となく分かった気がした。

最近の音楽は、音楽の入手方法や聴き方が変わってきたせいで、ミキシングも変わってきているように思う。つまり、mp3やAACで圧縮された音楽をオンラインで購入し、それをソリッドオーディオプレイヤーに転送してヘッドフォンで聴くのが多くなっているわけで、それがメジャーになってきたら、そこで一番いい音を聴かせるように持って行くのがプロのエンジニアの一つの考え方かもしれんなぁ、と。

前に良くあったのが、着メロのエンジニア。
着メロは携帯の本体の作りやスピーカーの特性によって、音の響きが全然ちがうんだとか。それを補正する術がないので、メジャーな機種毎に音声ファイルをそれぞれ作って、最適なものをダウンロードして使ってもらうという着メロサイトがあるというのを見て、なんつーめんどくさいデジタルや、と思ったもんで。

ソリッドオーディオも、似たようなもんでしょ。
ある程度離れてスピーカーで聴くためのCDを、イヤホンとかヘッドフォンで聴いたら印象変わるっての。
そこまでインパクトある?と思われるかもしれないが、最近の音楽はとにかく音が薄っぺらいというか、編曲とかパーカッションとかで繕ってはいるけど、肝心の「どの音がどの辺にあって、どこまで聞こえるか」というところが全く持っておざなりになっている気がしてならん。それが、最近の音楽に興味がないところの大きな部分を占めているのかも。

どの音がどの辺に、っていうのは、例えば目の前でバンドが演奏してて、中央奥のドラムから重低音のドラムが聞こえてきて、向かって右の方には手前にトランペットがいて、左手にはキーボードがいて、中央寄りにギター、ど真ん中にボーカル、とか、そういうのが分かると、音のそれぞれの独立感があってそれがハーモニーとなるから耳と頭の中できれいに混じっていく、っていう事なんですけれども。それが、ミキシングが下手くそだと音が一切区別されず、みんな真ん中にぐっと寄っちゃって一斉に音を出してるっていう、そんな感じな訳で。目の前でモノラルラジオ1個置かれて聴いてるのとあまり変わらないという・・・。

どこまで聞こえるか、ってのは、音の解像度とかよく言うんだろうけど、ボーカルや楽器の音が、最後の残響音的な所まで含めてきちっと響いて聞こえてるか?というところのこと。特に圧縮された音楽はその不可聴な部分を切り捨てるというのが根本の設計思想だったりするので、そういうところが一番苦手で難しいといえば難しいんでして。
すぅっと音が広がって延びて響けば気持ちいいのに、不自然なところで収束してしまって、これも中心的なはっきりとした記号的な音しか出てないと、味気なく感じてしまうんだな。あとは音の「端っこ」だけじゃなくて、本体ど真ん中の音の「詰まり具合」も大切になってくる。ぎゅぅっと音が密集して、スカスカしておらず充実した感じが出てないと、何じゃこれ?と思ってしまうのであって。

その辺が気になり出すと、やっぱり何でも気になってしまう。
先日変えた車のオーディオが、160kbpsのmp3を標準装備のスピーカーで鳴らすシステムなモンだから、これがもう、スカスカでごわごわな音で。気になってしまって仕方ない。
でも、今の家でどでかいスピーカーを置くわけにもいかないから、せめてBOSEのQC3でなんかいいミキシングの曲でも聞くかというところに軟着陸しておるわけですが。

SHUREとかゼンハイザーとかの前に、やっぱり音源そのものも考える必要があるよなぁ、と思う今日この頃。同じやり方で圧縮した音楽も、きれいに想像に近い音を出すものもあれば、全部がごった煮になって腐ってしまうものもあるので、圧縮してるからそんな音源はゴミだとか、BOSEなんてドンシャリだけのおもちゃじゃん、だとか、そういうことよりも、なんというか、自分の思ったところの音が思ったものに近く出る、そんなところに良さを置いていきたいと思う、そんな気がするわけです。

前振り長くなりましたが(長すぎるよ!)、やっぱりミキシングって大切。
素材そのものを録ればいいじゃんとタモさんは言ってましたが、それだと、目の前の生にんじんそのまま食えよって言うのとあんまり変わらないわけで、素材の味が最大限に生きるものであればそれが最高なんだけど、DTMみたいなやつで音が構成される今日日の音楽は、生のママじゃキツいだろと思うんでありますよ。適切に下ごしらえして、味付けして、きれいに盛りつけて初めて料理でしょ、と。おいしくいただけるでしょ、と。
そうじゃないと、せっかくいい素材使ってるのに、ぐっちゃぐちゃに混ぜて盛りつけちゃったら何料理なのかすら分からなくなっちゃうからね。

最近の音楽は、最後の最後でぐちゃっと盛りつけてる音が多いように思う。
音が独立してることイコールいい音、とは思わないけれど、頭の中できちんと響かない音は、あんまりいい音じゃないな、ってことだけは軸として正しいと思ってる。

自分がこれまで好んで聴いてきた音楽の内で、特にその辺に良く合う音だなぁと思っていたのは、ユーミンと杏里。ユーミンの音楽は常に、どのへんでどの楽器を鳴らすか、戦略というかメッセージ的なものがよく分かる。音が分かれているからこそ、それらの個性がよく聞こえてきて頭の中で自然に混ざって融けていくのであって。杏里の音楽も、ユーミンよりはどちらかといえばシンセサイザー中心にはなるんだけど、音の配分やバランスが絶妙で、聴いてて目の前に広く音の世界が広がるから安心できる感じがする。これが雑なミキシングだと、目の前2〜3mだけ、ぐちゃっと何か見えてるだけで、そこから先がどうなってるのかよく分からないから疲れてしまうのだ。有名所のよく売れた曲なら、そのへんしっかりしてるのかなぁと倖田來未や浜崎あゆみとか、「盛りつけ」を意識して当然であろうアーティストの曲とか聴いてみたんだけど、やっぱりその辺の意識というかメッセージが見えてこなかったなぁ。

それよりも、楽器や音源が極力無い、ノラ・ジョーンズのI don't know why.みたいな曲のほうがよっぽどきれいな「盛りつけ」がされているし、最後の最後まで音がしっかり「わかる」「聞こえる」ミキシングされていて、聴いていて心地よい。第一、人間の声そのものがシンセとは比べられない様々な音の集合であり、声がきちんと聞こえれば他もおそらくちゃんときちんと聞こえるようにミキシングされてるだろうと思うんだけれども、最近の音楽が一番ないがしろにしてるのは、実はアーティストの声そのものなんじゃないかと思ってしまうわけで。

その辺も語り出すと長く鳴っちゃうんで割愛するけど、オレ、Perfumeは好きよ。
だって、そういう意図的なアプローチだもん。全体ひっくるめてPerfume。
生声の歌唱力は尺度ではない、っていうことかな。

でも、鈴木亜美はキライ。
だって、声で売ろうとしてるもん。キャラももちろんあるけど、ボーカルとしての鈴木亜美。
生声の歌唱力も見てください、っていう売り方。オレはイヤよ、それだったら。

という感じで、プレイヤーや音の圧縮、スピーカーの種類も音質には大きなファクターとなるけど、ミキシングもとても大切よ、ということを強く思ったタモリ倶楽部でした。・・・って、シメがタモリ倶楽部になっとるやん!(汗)


参考までに。オレの好きな、音が非常に独立している曲。

ユーミン → 情熱に届かない〜Don't let me go
 杏里  → あの夏に戻りたい

どっちもシンセ系なので、生音じゃないじゃん!とか言われそうですが。
ミキシングが絶妙!ってことをとにかく言いたかったので。難しいなぁ。



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